「愛のまなざしを受けているから」 05.02.20
ルカ22:47〜53
ペトロは、敵の屋敷の中庭に入り込む勇気のある人です。
正体を見破られそうになった後も逃げ出さず、そこにとどまります。
命を賭している者が持つ堂々とした姿をしていたからこそ、疑う
相手を納得させたのです。ペトロには、わたしたちに真似のできない
ような勇気がありました。それでも、イエスさまを知らないと言ってしまう
ことを避けられませんでした。ペトロは、激しく泣いています。
自分の情けなさを泣きました。自信を砕かれて、もはや自分を否定する
しかありませんでした。ペトロでさえそうなのです。私たちの内で、だれが
泣かずにすむでしょうか。
ペトロはイエスさまの言葉を思い出します。
その時、「わたしを知らないと言う者は、神の天使たちの前で知らないと
言われる」(ルカ12:9)とおっしゃったイエスさまの言葉も思い出しのでは
ないでしょうか。「もうダメだ…。」ペトロは、もう屋敷には戻れません。
もうこの後は、何もできませんでした。
十字架にかかって復活されたイエスさまは、弟子の内、まずこのペトロの
所に現れます。従い切れなかったことを責めるためではありません。
自信を失い、イエスさまから知らないと言われるに違いないと思い込んで
いるペトロに「安かれ。平安があるように。」とおっしゃるためにです。
イエスさまが十字架に進まれたのは、弱さを抱えイエスさまを拒んでしまう
者を赦すためです。そのような者を、神の天使たちにご自分の弟子として
喜んで紹介するためでした。
イエスさまは、ペトロをはじめ、自身をなくし、情けなさを感じ、失敗をし、
信仰的にも、この世的にもズタズタになっている者に、御顔を向け、愛の
まなざしを注いでくださいます。だからわたしたちは安心して生きられます。
「主があなたを祝福し、あなたを守られるように。主が御顔を
向けてあなたを照らし、あなたに恵みを与えられるように。
主が御顔をあなたに向けて、あなたに平安を賜るように。」という
アロンの祝福を、イエスさまは実現してくださっています。